Home » Archive

Articles tagged with: 新田次郎


読書 »

[ 2006年04月19日 | No Comment | 0 Trackback ]

槍ヶ岳を開山した修行僧播隆の半生を描いた作品。
百姓一揆に巻き込まれて自分の妻を誤って刺殺してしまい、修行僧になってやがて槍ヶ岳を開山するという物語だ。
一瞬タイトルを見て『劒岳〈点の記〉』とダブッてしまったが、読んでいくうちに全く違うものだということに気づいた。『劒岳〈点の記〉』は基本的に測量(三角点埋設)するために山に登るが、『槍ヶ岳開山』は誤って刺殺した自分の妻との対話を求めて登っている。
この物語はなぜか一番のクライマックスである槍ヶ岳の山頂を踏むシーンから始まっている。この演出がはたして効果的なのかどうかは分からないけど、どうせクライマックスのシーンをを最初に持ってくるのならもう一捻り欲しかった気がする。
[amazon asin=”4167112108″ /]

読書 »

[ 2006年04月14日 | No Comment | 0 Trackback ]

時代は日露戦争の直後の頃、測量官の柴崎芳太郎のもとに劒岳に三角点を設置せよ、という命令が下った。まだ当時は劒岳は誰も登ったことが無く、地元では誰も登ってはいけない山とされていた。そんな中、柴崎芳太郎一行は山頂を目指すのであった。
この作品は史実を元に書かれている作品で、主人公の柴崎芳太郎も実際にいて近世での劒岳の頂に最初に立った人と言うことになっている。
特にこの作品で面白かったのは、まだ出来たばかりの日本山岳会の人との劒岳初登頂を争う部分とか、当時の三角測量の様子が詳しく書かれている部分などが面白かったが、一番はやっぱり、初登頂後に山頂で目にしたモノのことだろう。これは有名な話らしいが私は知らなかったので思わず、「おぉ・・・」とうなっしまった。
[amazon asin=”4167112345″ /]

読書 »

[ 2006年02月28日 | No Comment | 0 Trackback ]

昭和の始めアラスカにてエスキモーとして生きたフランク安田という名の日本人がいた。彼はエスキモー一族の危機を救いアラスカのモーゼと呼ばれ生涯をそこで過ごした。
この小説を読むまではこんな日本人がいたなんて知らなかった。
顔は日本人と似ているとはいえ、文化や風習などは全くと言っていいほど違うのになぜ彼はエスキモーの世界に入っていけたのだろう? 小説内では顔が似ているため、日本というところのエスキモーと認識されていたようだが、自分としては彼の容姿だけではなく性格もや本質がエスキモーに近かったため、エスキモーの社会に受け入れられたのではないだろうか。
この本を読み終わった時、ふと疑問に思ったことが今のエスキモー社会の中でどの程度「フランク安田」という日本人が残したものが残っているのだろう? そんなことを思いながら機会があれば調べてみたいと思っている。
[amazon asin=”4101122210″ /]

読書 »

[ 2006年02月21日 | No Comment | 0 Trackback ]

表題作の『強力伝』や『孤島』を始め、『八甲田山』、『凍傷』、『おとし穴』、『山犬物語』と短編集だが、どの作品も新田次郎らしい作品で、とても面白く読めた。
ほとんどの作品が実話を元に構成されていて、『八甲田山』などは、『八甲田山死の彷徨』に通じるものがあり、短編ながら吹雪の中で隊員が死んでいくシーンなどは『八甲田山死の彷徨』に勝るとも劣らない描写で、読むものを引き付けて離さない力がある。
特にお気に入りなのが、『凍傷』だ。これは富士山に気象観測所を作ろうという男の話なのだが、作者の新田次郎氏もここの観測所に勤務していたこともあるという、まさにこの作品は彼にしか書けない物語だろう。そんな人の書いた作品なので冬の富士山頂の様子などとても詳細に書かれていて、ついつい作品の中に吸い込まれてしまいます。
[amazon asin=”4101122024″ /]

読書 »

[ 2006年02月15日 | No Comment | 0 Trackback ]

女性登山家がまだ珍しかった時代、二人の男性登山家(蜂屋、木暮)に追従するように登攀している一人の女性(千穂)がいた。その二人の男生と一人の女性はパーティーを組み、互いの住所も聞かないまま山を下りる。その後、偶然にも蜂屋の同僚の女性(美根子)が山で撮影した写真を見て、この女性(千穂)は自分の高校の同級生だと分かり、二人の男生と一人の女性は再び出会う。
やがて二人の男生は千穂に好意を寄せ、それぞれ自分なりの方法で気持ちを伝えようとするが、過去においての千穂と美根子との因縁がそれを邪魔するようになる。
二人の男生は山男としての道理を通そうとして、千穂を山に誘い求婚しようとする。
果たして千穂はどちらの求婚を受けるのか・・・?
まぁ、一言で言ってしまうと、二人の男と二人の女の四角関係の物語なのだが、時代のせいなのか? 新田次郎の恋愛観なのか? は分からないが、ずいぶんと現代とは違って見えるのだが、これは仕方のないことなのか? もっとも、作品のの半分くらいは新田次郎お得意の山岳小説になっているから、そっちからの視点で見れば、結構楽しめると思う。
[amazon asin=”4101122016″ /]

読書 »

[ 2006年02月10日 | No Comment | 0 Trackback ]

昭和の初期、”加藤文太郎”という伝説の登山家がいた。彼は神戸の和田岬を出て、塩屋から横尾山~高取山~菊水山~再度山~摩耶山~六甲山~水無山~太平山~岩原山~岩倉山を縦走して、宝塚へ出て元の和田岬まで全行程約100kmを1日で歩いたというまさに超人的な体力を持っていた。当時はまだ登山というのは高級なスポーツだったが、当時の彼は普通の社会人だったため、装備やガイドにお金をかけられず、自分で創意工夫した服を着て地下足袋で山行を行っていた。このため彼は「地下足袋の文太郎」と呼ばれるようになった。
やがて彼は、日本アルプスに登り始め、数々の山に単独で登頂していった。そんな中でも槍ヶ岳の冬季単独登頂は彼の名を世間に知らしめるとことなった。
そんな彼も、結婚し、子供も生まれ、山から遠ざかっていたとき、長年の友人の宮村健がパートナーを願い出て、これで最後の冬山にすると言って、槍ヶ岳の北鎌尾根に向かうが、宮村健の誤った判断により、二人とも遭難し帰らぬ人となってしまった。
この本は山岳小説の最高傑作とか、山をやる人の必読の書というふうに聞いていたので読んでみた。
加藤文太郎は実際に昭和の初期に実在した人物で数々の伝説を残し、冬の日本アルプスに消えていった人だ。いくつかのエピソードは実際にあったようだが、人間像は小説とはかなり異なるようだ。たしかに、小説内では超寡黙な人物だが、ほんとにここまで寡黙だと社会生活に影響が出てしまうだろう。この部分は作者がデフォルメしたに違いないだろう。容姿に関しても小説ではものすごい表現をしているが、実際に彼の写真を見てみると、そんなこともなくむしろそれなりに男前ではないだろうか。まぁ、小説は小説、実際は実際ということでこの本を読んでみた。
物語自体はたんたんと進んでいくのだが、かえってそれが読み手の想像力をかき立て小説の世界にどっぷりとはまってしまうのだ。この作品も『八甲田山死の彷徨』と同じで、「やめられない、止まらない」状態で上下巻で800ページ強あるが一気に読んでしまった。とにかく実際に存在した人物なので、その人物像がとても気になってネット等で調べて見るうちに”加藤文太郎”という人物にすっかりはまってしまっている自分がいた。彼の残した『単独行』も読んで見たいと思い調べてみたら、2月22日に青空文庫で公開されるとのことなので、なんてタイムリーなんだと思い、22日が待ちどうしい。

[amazon asin=”4101122032″ /]
[amazon asin=”4101122040″ /]

読書 »

[ 2006年02月02日 | No Comment | 0 Trackback ]
『八甲田山死の彷徨』 新田次郎(著)を読んで

日露戦争開戦直前の青森で、万が一(開戦)の場合に備えて冬の八甲田を越える訓練の必要性に迫られ、青森第5連隊と弘前第31連隊がその任務を与えられた。
弘前第31連隊は弘前を出て十和田湖の南を回り、三本木(現在の十和田市)~増沢~田代平~田茂木野~青森市~弘前というルートを選択し、青森第5連隊は青森市からその逆を回るルートを選んだ。
一足先に出た弘前第31連隊は各村で地元の案内人をたててルートを順調に進んだ。そして最大の難所である八甲田越えを控え、増沢にて数日前に青森第5連隊が出発したと聞いたが、本来ならすでにすれ違っているはずの青森第5連隊の消息が分からなくなっている事を聞く。多少遅れたとしてもすでにここ、増沢には到着しているはずなのだが、おかしいと思いつつも弘前第31連隊も最大の難所の八甲田越えの雪中行軍を開始する。
そのころ、青森第5連隊は雪の八甲田山中を彷徨っていた。いろんな要因が重なり(装備の不備、歴史的な大寒波、指揮系統の乱れ等)青森第5連隊は完全にルートを見失っていた。次々と倒れる隊員たち。猛威を振るう寒波の前で、あるものは服を脱ぎ、あるものは川に飛び込んだ。まさにそこは白い地獄だった。
軍の方もそのころになると青森第5連隊を捜索するための救助隊を田茂木野から田代に向けて出発していた。そんな中、救助隊は雪原に石地蔵のようなものを発見する。それはたったまま仮死状態になっていた青森第5連隊の江藤伍長であった。すぐにその体を暖め、11分後に蘇生し、その口から微かに語られた内容によって遭難事件の概要が明らかになった。
そんな事が起こっていることなど知らず、何度もルートを見失いそうになりながらも地元の案内人のおかげで弘前第31連隊は最大の難所を切り抜けようとしていた時、青森第5連隊の兵士の死体を見つける。そこで初めて、青森第5連隊が遭難していたことを知る(虫の知らせのようなものはあった)。その後、弘前第31連隊は全員に田茂木野にたどり着く。
全員生還した弘前第31連隊とは対照に青森第5連隊は210人中生き残った者はたったの11人しかいなかった。そしてその生き残った11人の内の何人かは重い凍傷で手や足を切断しなければならなかったという。
この物語は史実を元にしたフィクションです。小説の中で登場する名前も実際とは微妙に違います(例えば小説では江藤伍長が実際は後藤伍長だったりします)。しかし、そこ(八甲田)で起こったことは紛れも無い事実です。青森第5連隊や弘前第31連隊が実際にこのルートを歩き、弘前第31連隊無事踏破し、青森第5連隊は210人中199人が凍死したのも事実です。なので、この作品は限りなくノンフィクションに近いフィクションです。
「冬の八甲田を雪中行軍」というキーワードは自分の中では小学生の頃から何となく特別な意味を持っていたような気がします。ちょうどその頃に映画『八甲田山』を観たというのもその原因のひとつだと思いますが、その映画の公開と同じ時期に実際の八甲田を(夏でしたが)見たというのが大きな原因だと思います。それ以来青森へ行く度に目にする八甲田は自分の中で特別なものになっていったような気がします。
それと偶然なんですが、昨年(2005年)9月に八甲田に行ってきました。そしてこれも偶然なんですが「八甲田山雪中行軍記念館」というところにも行ってきました。実際の雪中行軍隊の衣装や装備、当時の資料、そして隊員たちの写真などが展示してありました。その記念館の裏手にある丘(馬立場)の頂上には立ったまま仮死状態で発見された後藤伍長(小説内では江藤伍長)の銅像が発見当時の格好を模して建てられていました。実際に後藤伍長が発見された場所はここからさらに青森市の方向に2km程進んだところらしいですが、ここは見晴らしが良いので今後同じような行軍を行う際の目印になるということでここが選ばれたらしいです。なので、この銅像は台座も含めるとゆうに4~5mはあると思われます。これなら大雪が降っても埋もれることは無いんじゃないでしょうか? 記念館に隣接するお土産屋兼お食事処の中には、庇の部分まで雪で覆われて見えているのは屋根のみの写真が飾ってありました。恐らく2m以上の積雪なのではないでしょうか? そしてここを中心として田茂木野方面と田代平方面で多数の凍死者を出した現場なのです。まさに小説の舞台です。
実際に現場を見た後、この小説を読むとかなり「グッ」と来るものがあります。それに、新田次郎氏の描く冬の八甲田はものすごいリアルです。特に寒波に倒れていく兵士たちの描写は目の前で実際に見ているような錯覚に何度も陥りました。一度読み出したら止まりません。ほとんど一気に読んでしまいました。この作品はたくさんの人に読んでもらいたいです。実際に日本で起きた歴史的事実としてこの先何百年経とうが読みつがれる作品だと思います。
小説内では生き残った兵士に関しては、発表時期が微妙な時だったせいか、あまり詳しく出ていません。その辺を知りたい方は「八甲田山雪中行軍記念館」へ行ってみてください。フィクションだった世界が急にリアルになりますよ。自分ももう一度行ってみたいと思っています。
[amazon asin=”4101122148″ /]